2009年07月15日

「漢民族の歴史を中国史に塗り替える」中国共産党の偽史と少数民族支配の欺瞞

漢民族が、周辺の異民族を感化し中国文明を作り上げてきたというのは歴史的事実に反する。実情は異民族に征服され、統治されることでその異文化の恩恵を受けて漢民族は進歩できたのだ。

事実、漢民族が中国を支配した時代はその歴史の約1/4程にしか過ぎず。秦や元などの異民族が支配する時代にもっとも文化的な発展をしている。

(秦人はもともと、甘粛省の草原の遊牧民「西戎」である。ちなみに唐の高祖・太宗とも鮮卑であり漢民族ではない。彼らはその姓を「李」といいその始祖を李玄盛といい、今の甘粛省の人だ)

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地図参考・・・【甘粛省】 中国大陸の北西に位置し、西に新疆ウイグル自治区、青海省、北に寧夏回族自治区、内モンゴル自治区、南に四川省、東に陝西省と接している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%98%E7%B2%9B%E7%9C%81

つまり、歴史的に漢民族(実は諸民族の混血種)の支配する中原(黄河中・下流域)とは、異民族(秦など)が支配する広大な地域の一部でしかなかった。異民族に支配されることで、その領土が拡大し、文化が発展してきたというのが中国の真の歴史だ。大都(今の北京)を作ったフビライにしても、支那(中国)はその支配する広大な地域(チベット・モンゴル・ウイグルなど)の一部でしかなく、彼は支那を管理するために定期的に大都を訪れるだけで、そこから南(支那の地)には一度も足を踏み入れたことは無い。

秦や元、或いは清にしても、その政治システムや文化は漢民族が作り上げたものではない。支那は支那の政治システムに任せただけで、その上にモンゴルなど支配民族の統治システムがある。(元では、漢民族の身分は色目人[イラン人など]より格下で、金の支配下にあった河北の漢人が第三番目、南宋の支配下にあった南の漢人は第四番目であり、中原「中華」に行くほど身分が低い)

支那の語源でもある異民族の秦によって初めて中国大陸が統一され、支那人(現在漢民族と言われている混血民族)が人為的に作り上げられたが、そのシナ人は、周知されているように、異民族国家の乱立期(五胡十六国から南北朝にかけて)に戦火による大虐殺でその人口が約700万人まで激減した。

それ以来漢民族に代わって蒙古、系ツングース系、チベット系、南方系が中原を占めるようになる。これら混血民族の子孫である今の支那人は、勝手に漢民族だと自称しているに過ぎない。

結論を言えば・・・中国の歴史とは「漢民族の歴史」ではなく、異民族の歴史を継はぎした物に他ならない。


その異民族の歴史と文化の継承してきたに過ぎない中国を中国政府(中国共産党や国民党)はどう見てきたか。

中国共産党の見解は右記の通りである。「伝統的には中華と夷狄は区別されていたとしても、近代国家建設においては、中国という枠組の中に、そこに住む民族はすべて『中華民族』として融合されてきた」と言っている。

だから、漢民族はもとより、チベット民族、モンゴル民族、ウイグル民族やその他少数民族は中華民族の一員だとの主張なのである。

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(ウイグルの少女)

しかし、この論理は支配される少数民族(決して少数ではないが)にしてみれば、それは漢民族(中国共産党や国民党)の身勝手な言い分に過ぎない。

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(インド西部ムンバイの中国大使館前で警官に取り押さえられるチベット人青年)

事実、元朝のみならず清朝でもウイグルやモンゴル、チベットは決して中国(支那)の一部ではなかった。支那の統治に関しては、科挙により役人になった者が行政に参加できたが、それ以外の帝国全体の統治システムは満州人(清の民族)の仕事であり、中国人(支那人)は参加できなかった。(その税制も5つの国ではまったく違う制度を設けていた。モンゴル帝国の後継者である清朝では、モンゴル人からは一切税金を取っていない)

また、辛亥革命の基本的理念は、光復革命(野蛮な異民族支配を打倒し、優れた漢民族による異民族支配の確立を目指した革命)の実現であり、孫文でさえ自惚れにすぎないの中華思想から、優秀な漢民族が中国を統治するのが望ましいと述べている。

異民族(モンゴル・チベット・ウイグル)の側からすれば、漢民族が光復革命を掲げて清朝から独立するのであれば、我々も同様に清朝からの独立を目指すことが出来るということになる。

実際、モンゴルはそう宣言し、ソ連の支援のもとに中国共産党の支配から辛くも抜け出すことが出来た。


今日の少数民族の悲劇の根源は、孫文の「建国方略」にある。彼は中国の実業振興をうたい文句にモンゴル、ウイグルへの漢民族の殖民を推進し、鉄道網の整備を計画推進した。その目的はウイグル自治区などの鉱物資源の獲得である。

いわく「モンゴル、新疆への殖民は、鉄道計画を補助するものである。(中略)移民の数は1千万とし、人口が多い省から西北地域へ移し、自然の富源を開発すれば、商業活動の利益があまねく広がってく」・・・つまり人口の少ない少数民族の地域に漢民族を送り込み、漢化させるという構想だ。

【漢民族のウイグル人弾圧】
http://www.google.com/imgres?imgurl=http://img.youtube.com/vi/zz4PwTMnXVY/2.jpg&imgrefurl=http://youlist.jp/v/V25huimxsGg&usg=__dPJMMFI4H2O3ClQNGU04eCFtWEc=&h=97&w=130&sz=4&hl=ja&start=5&tbnid=iSCndEtf1I2whM:&tbnh=68&tbnw=91&prev=/images%3Fq%3D%25E3%2583%25A6%25E3%2583%25BC%25E3%2583%2581%25E3%2583%25A5%25E3%2583%25BC%25E3%2583%2596%25E3%2580%2580%25E3%2582%25A6%25E3%2582%25A4%25E3%2582%25B0%25E3%2583%25AB%25E6%259A%25B4%25E5%258B%2595%26hl%3Dja%26sa%3DG

民主党や自民党中川秀直氏などが推し進める「移民の1千万人受け入れ計画」の数字と「孫文の移民計画1千万人」の数字が同じと言うのは、何か因縁を感じるものがある。
中国の侵略は・・・漢民族の移民を受け入れる事から始まると言うのは、歴史が証明している。



「中国歴代戦乱編年史」柏楊氏によれば、中国は有史以来、現代に至るまでの4千年間、毎年必ず国内のどこかで戦争があったと言う。


中国では戦乱のたびに、人々は食料を奪われ、都市機能や利水設備が破壊されて農地が荒れ果てる。その上大旱魃が繰り返し襲うので、飢饉のたびに木の根から昆虫までを口にしてもまだ足りず、人肉を食うのが当たり前の世界で生きてきた。(事実、中国ではそれが、何千年も食文化として継承されてきたし、孔子は塩漬けの人肉が大好物だった)

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そのため「中国人はいつも不安を感じているので、他人を一切信用することがなく、もちろん政府も信用してはいない。今日一日が無事に過ごせれば良いと思うと同時に、少しでも良い食事と仕事を与えてくれる為政者であれば、国民党であろうが共産党であろうが構わない。そんなことよりも、自分の生活がまず第一である。そして、他人にたいしては決して弱みを見せてはならず、逆に相手の弱みに付け込まなければならないと考え、絶えず緊張している方が立派な人物だという評価を受ける」という。

これでは、日本人の美徳「道徳的であること」や「謙譲の精神」などは、中国人に理解されるはずもなく、かえって小馬鹿にされ付け込まれるだけだろう。(外交問題の一つである尖閣諸島の両国の対応をみれば自明の理そのものだ

もう学ぶ物なしとして遣唐使を廃止した菅原道真の英断には、敬意を表したい。恐らく彼はこのような中国人の価値観が、日本人には相容れられない程はかけ離れていることを理解していたに相違ない。

引用文献・・・「中国の異民族支配」横山宏章著・集英社新書
       「侵略と戦慄・中国4千年の真実」杉山徹宗・祥伝社
        その他
posted by かたばみ at 10:04| Comment(1) | TrackBack(0) | 偉大なる先人達 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする