ところが・・・驚く事に、日本ではこの砥石で石器を磨いて仕上げる技術が、すでに旧石器時代の3万5千年前から始まり、磨製石斧が製造されていた。
なんと、当時の世界では存在しないはずの磨製石器が、約2万年も早く日本には既に存在していたということだ。

現在では北海道から奄美大島までの全国約200の旧石器遺跡から、650点以上の磨製石斧が出土している。(【人類がたどってきた道】生物人類学・古人類学者海部洋介著・・・・参照)
海部氏によれば、日本の磨製石斧(刃の部分を研磨しているところから、局部磨製石器とも言う)は、世界最古であり、かつその出土数に於いても他地域を遥かに凌駕していると言う。
ところで・・・この旧石器時代の磨製石器は、中国はおろか、朝鮮半島ななどの周辺地域では出土例がない。
この他にもナイフ形石器、台形石器、独自の石刃製作法である湧別技法など、日本列島で独自に発達した石器やその製作法が存在すると言う。
旧石器時代から日本は、当時の先端技術である石器の製作でも、中国を凌駕していたと言う事だ。
磨製石斧は、その後、金属性の斧が普及するまで木の伐採や加工に使われた。この石斧は硬い木(栗)などを切り出すのに適している。(杉など柔らかい素材では、木目がつぶれて加工できない)
古代の日本で栗の木が使われたのは、石斧で加工が出来るという以外に、栗の木は土中でも杉などと違い腐食しにくく数百年も柱として使用できるからだ。
(柔らかい杉が建材として使われ始めたのは、西アジアから伝わった新しい建築方法、石の上に柱を立てる基礎工法と鉄器が中国を経由して伝わってからである)
つまり・・・旧石器時代から日本は、早くからオリジナルな文化が存在し、世界最古の縄文土器による煮炊き文化と磨製石斧による建築技術やその他の狩猟などの石器文化は、中国よりも遥かに進んでいたと言うことだ。
(その後の中国文化の発展は、西アジアからの青銅器文化や鉄器文化の伝播と農業技術の導入抜きには考えられない)