2010年07月13日

縄文人は朝鮮半島に進出していた。

最近の考古学や遺伝子の研究から、朝鮮半島より早くから稲作(日本では縄文時代、約6千年前から陸稲が栽培されていた。今日では遺伝子の研究から、稲は日本から朝鮮半島に伝播したことは周知の事実です)を行っていた縄文人が、約千年を掛けてその食生活の変遷から、骨格が大きく変貌し、弥生人へと身体的特徴を変えて行ったことが分かってきました。また遺跡の発掘調査からもこのことが裏づけされています。

今日の考古学では、最近の発掘資料から、弥生時代に大陸から渡ってきた渡来人は、年に2,3家族ていどでしかなく、シナ大陸や朝鮮半島から「渡来人が大挙して押し寄せてきた」というのは、遺伝子研究や発掘資料の少なかった過去のデータからの誤った認識だったと考えられています。

繰り返して言えば・・・最新の遺蹟の発掘調査から分かった事柄は、渡来人の数はごくわずかで、倭人の歴史に影響を与えるほどではなく、縄文人や弥生人の社会の隅で共存しながら細々と暮らし、やがて倭人に人種的にも文化的にも吸収されて消えてなくなったという事実です。

したがって、弥生人=渡来人が稲作を持ち込み、縄文人を駆逐していったとの説は誤り。実情は、「朝鮮半島からのボートピープルが見たものは、500年以上も水田耕作を行い文化的にも進んだ倭人(弥生人)の社会だった」と言うことです。

世界の四大文明より数千年も早く土器を作り、これまた最古の漆器を発明して人類の食文化に画期的変革をもたらし、世界では新石器時代にしか存在しない磨製石器を旧石器時代に作り上げた縄文時代の日本はまぎれもなく、文化の先進的地域でした。

時代を下っても同様で、弥生人(倭人)は朝鮮半島南部にまで進出し、倭人文化(糸魚川のヒスイ製勾玉、前方後円墳など)を持ち込んだことは考古学的事実です。

だから・・・古代の中国の文献に「新羅や百済は、倭国が大国だから朝貢している」と書かれているのでしょうし、数代にかけて新羅の王は倭人だったと言う事実があるのです(これは朝鮮最古の歴史書・三国史記に書かれています)。

参考・・・【三国史記】は、高麗17代仁宗の命を受けて金富軾らが作成した、三国時代(新羅・高句麗・百済)から統一新羅末期までを対象とする紀伝体の歴史書。

縄文人から引き継がれた日本人特有の遺伝子が、朝鮮半島にもあるのは、倭人の半島南部進出で原住民との混血が進んだからです。百済など朝鮮半島南部の朝鮮人が、倭人の文化的政治的影響下にあったことは否めない事実なのです。


古代日本と朝鮮に関心のある方は・・・下記の書籍を読んで見られることをお勧めいたします。

【日本人ルーツの謎を解く―縄文人は日本人と韓国人の祖先だった!   長浜 浩明 (著) 】
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第1章 司馬遼太郎・山本七平の縄文・弥生観は失当だった。
第2章 縄文時代から続く日本の米作り。
第三章 縄文・弥生の年代決定に合理的根拠はあったのか
第4章 反面教師・NHK「日本人はるかな旅」に学ぶ
第5章 もはや古すぎる小山修三氏の「縄文・人口推計」
第六章 机上の空論・埴原和郎氏の「二重構造モデル」
第7章 統計的「偽」・宝来聡氏の「DNA人類進化学」
第8章 ためにする仮説・中橋隆博氏の「渡来人の人口爆発」
第9章 「Y染色体」が明かす事実
第10章 言語学から遡る日本人のルーツ

posted by かたばみ at 11:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 偉大なる先人達 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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