2010年09月21日

保守とは何か?

保守(Conservatism)とは何かこれを簡潔な言葉で表せば「公共を重んじる人々」と言うことになる。

対してリベラル(liberalism)とは、「個人を重んじる人々」だろう


戦後の日本社会は、日教組に代表される左翼的リベラルが、一貫して「個人の権利」ばかりを追求してきた時代だった。教育現場では・・・生徒は過度に「個人の権利」を教えられ、「国民としての義務」はおざなりにされてきた。

その結果が、学級崩壊であり、モンスター・ピアレントなど常軌を逸した人々の出現であり、行き過ぎたほどフライバシーや人権を慮るために、虐待される子供たちを救えないという社会の出現である。

左翼的リベラリストは、社会秩序を破壊することは得意だ。彼らが推進する、人権擁護法案、外国人地方参政権、改正移民法等々が好事例だろう。


世界には、誰もが個人の事しか考えない,そんな価値観を持つ人々が暮らす国家がある。ずばり、それは漢民族が支配する中国だ。彼らには道徳観念や公共を重んじる精神がまったく欠落している。個人だけならまだしも、国家自体が取れるものなら、何でも奪ってやれと言う無法国家だ。尖閣諸島や東シナ海のガス田問題などが良い例だろう。


日本は古より、聖徳太子の17条の憲法「和を持って尊しとす」の精神が示すように、個人よりも「社会の公共性と義務」に力点が置かれた社会を育んできた。

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聖徳太子

現在の憲法でも・・・第3章 国民の権利及び義務。第12条 【自由、権利の保持の責任とその濫用の禁止】
 
「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。 又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」とあるように、過度の個人の権利は公共の福祉に反するとされている


日本の社会が、世界で最も安定し、暮らしやすいのは、この古から培われてきた「公共の精神」の賜物である。

私は、人々が個人の権利だけを追求する、公共性や道徳性の失われた、中国のように無味乾燥で殺伐とした社会に生きたくはない。

戦後の左翼教育の集大成のような、プロ市民上がりの政治家がついに首相となった日本。子供たちの未来に大いに不安を感じる。

保守(公共精神と義務を重んじる人々)の復活は、もう望めないのだろうか・・・
posted by かたばみ at 10:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 偉大なる先人達 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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