2011年02月12日

天皇(大和朝廷)= 渡来人説の大嘘

今もなお・・・過去に教わった歴史教育のまま、紀元前から6〜7世紀の頃にかけて、後に皇室となる先進文化を持つた多くの渡来人が、朝鮮半島から日本列島に移り住んだと思い込んでいる人々は多いのではないだろうか?

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【吉野ヶ里遺跡】

これは過去の歴史学者が、以下に述べるように物的証拠のない、推論と固定観念による誤解をして来たからである。

第1の間違いは・・・古代の朝鮮が日本より先進的であり、また朝鮮半島や大陸から多くの渡来人がやって来たという誤解。

第2の間違いは・・・文化(知識や発明)の伝播には、必ず人種の移動や先住民への征服が伴うという固定観念。

第3の間違いは・・・天孫降臨という古代の人々のイマジネーションを、単純に地理的関係へとこじつけた点。


以下、直近の考古学調査や参考文献などを引用してそれらの誤りを正していきたいと思う。


【第1の間違い】・・・古代の朝鮮が日本より先進的であり、また朝鮮半島や大陸から多くの渡来人がやって来たという誤解。

縄文時代から弥生時代にかけて、大陸から渡って来たとされる支那人の生活文化や土器を伴う集落は発見されていない。つまり支那人がこの時代に日本列島に移住していた痕跡はなく、従って彼らには大和朝廷を築くほどの人口もなかったし、それを担うほどの支那文化も伝えられてはいない。

それでは古代朝鮮人は皇室となりえたか?・・・答えはやはり否である。その理由は、縄文時代や弥生時代の日本列島に朝鮮系集落はなかったし、倭人文化の方がはるかに優位に立っていたからだ。

「弥生時代前期後半から北部九州において朝鮮系無紋土器(朝鮮半島で作られたと思われる土器)が、玄界灘沿岸に点在する遺蹟から出土する。ただし、その数は一遺蹟当たり多くて数個程度であり、これらは小規模な交易、土産物、偶然の漂着によってもたらされたに過ぎない

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【朝鮮系無紋土器】

この地域には朝鮮系無紋土器を伴う、朝鮮系と見られる諸岡タイプの遺蹟もわずかに存在するが「この朝鮮系とおぼしき集団の居住区は、弥生(倭人)集落エリアの住み心地の悪いほんの一角を占めたに過ぎず、しかも程なく消滅した

また擬朝鮮系無紋土器(弥生土器の影響を受けて朝鮮系無紋土器から変容した土器)が出土する集落がある。しかし、「その数も10箇所程度であり、確実な出土例は現在のところ北部九州にとどまり、北部九州の弥生遺跡からすれば極わずかだった。それは渡来人集落ではなく、弥生集落の中に渡来人が居たと思われる程度だった

朝鮮系渡来人の遺蹟が残されている北部九州でさえこの程度の規模なのだ。事実に基づいて客観的に考えれば、古墳時代も含めこの人口と呼べるほどの人数もいない朝鮮系渡来人やその文化が、稲作を始めとする農耕などの文化的先進地・倭国に大和朝廷を築き上げるほどの影響力があるはずがない

文化の先進性で言えば・・・朝鮮式土器は、半島に移住した縄文人の縄文土器が変容したものだし、生活品・農具・鉄器や武具などの出土品や古墳・集落・建造物・生活文化の規模などは朝鮮半島と比べ物にならないほど倭国のスケールは大きい。中には仁徳天皇陵など世界一の規模を持つものまである。これなどは当時の日本の国力や土木技術の水準がいかに優れていたかを物語る。

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【墓域面積が世界最大の大仙陵古墳(仁徳天皇陵)】

例えば稲作では「遼東半島や朝鮮北部での水耕田跡が近代まで見つかっていないこと、朝鮮半島での確認された炭化米は紀元前2000年が最古で畑作米の確認しか取れないこと(水田跡については日本が2500年前であるのに対して、半島は1500年前)、極東アジアのジャポニカ種稲のDNA分析において、一部遺伝子が朝鮮半島を含む中国東北部稲からは確認されないなどの点から、いまでは朝鮮半島伝来説の支持者は少ない。近年では教科書などからも説が除外された」

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【弥生時代の武器】

だからこそ随書など中国の文献に「新羅も百済も倭国を大国と見ている。優れた品々が多いためで、新羅も百済も倭国を敬仰し、常に使節が往来している」とあるのだ。

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【『隋書』(ずいしょ)は、二十四史伝の一つで第13番目にあたる】

朝鮮半島が勝る点があるとすれば、そこから産出された良質の鉄だけである。(この鉄を求めて倭人や漢人が半島に進出していた。今で言う、レアメタルを求めて後進国に赴くようなものだ)


「縄文時代から弥生時代への移行期へのムラでは、水田遺構と共に発掘された土器を始め生活文化の殆どが縄文であり、やがて弥生土器が混在し文化的にも断絶なく弥生の要素が次第に増えていった」


言うまでもなく弥生土器は倭人が作った土器である。そして「朝鮮半島には、日本の弥生式土器、それに伴う石器と類似の物が、かなり濃厚に分布している」


これらの事実は、氷河期が終わり大陸から独立した文化圏を持つ縄文人が、時代をへて緩やかに弥生人へと骨格的にも文化的にも変遷をして行ったという過程を示したものであり、そこには渡来人の移住や影響力はなく、むしろその倭人が海を渡り朝鮮半島にまで居住の地を広げていたという事に他ならない。

その傍証としては・・・古代の中国文献や広開土王陵碑の碑文、日本書紀の欽明紀にある任那日本府などから読み取れる倭人の朝鮮半島支配とその影響力など多々ある。新羅の王が代々その権威である冠に、糸魚川の翡翠(縄文人の装飾品である翡翠文化)を付けていたのは有名な話だが、その理由は実に単純な話で、新羅はその建国から倭人が深く関わっており、四代目の王・脱解やそれ以後数代にわたり新羅の王が倭人だったからであり、彼らはその権威付けに朝鮮半島より文化の進んでいた倭国の権威が欲しかったし、倭人だったという誇りと経歴を伝えたかったからだろう。

*『広開土王碑』・・・「倭が新羅や百済を臣民とした」
*『三国史記 第一巻 新羅本記』・・・「第4代国王の脱解王は、倭の多婆那国から日本海を流れてきた賢者であり、総理大臣も倭人を据えた 」
*朝鮮半島で発見されている日本列島独特の墓制である前方後円墳の存在

つまり、日本列島への朝鮮系渡来人の影響はまったくと言っていいほどなく、むしろ縄文時代から続く倭人の朝鮮半島への文化的・武力的支配の影響が大きかったのである。縄文時代からの勾玉・翡翠文化を継承している大和朝廷が、朝鮮系渡来人である可能性はゼロに近い。皇室のルーツは間違いなく縄文人にある。

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【勾玉】


【第2の間違い】・・・文化(知識や発明)の伝播に人種の移動や異民族への征服が伴うという固定観念。

文化は、必ずしも人種の移動や異民族の征服を受けてもたらされる分けではない。実例を挙げれば、紀元前2000年頃に栽培が始まった北アフリカや中近東地方原産のメロンが日本列島にも伝わり、縄文時代後期の菜畑遺蹟で栽培されていたが、もちろん西アジアに住む異民族が日本にやって来た分けではない。

これは西アジアに起源を持つ農耕や製鉄の技術に限らない。数学や天文学や宗教なども同様だ。文化(知識や発明)はあたかも波のように伝播し、その速度は民族間の摩擦を生じる人種の移動よりも早く伝わる。

これはあたかも一端を握ったロープを上下に降ったとき、それが伝える波と似ている。ロープの一点(定住している民族)は単に上下し決して移動しないが、波(文化や知識)はもう一方の端にまで達する現象にも似ている。

文化とは交易などを通して、見て模倣しそれを取り入れていく事で民族から民族へと波のように伝わって行くものでもある。海洋民族・倭は朝鮮半島を中継点の一つにして中国大陸とも交易を行っていた。そこから得られる中国文化の運び手はあくまでも倭人である従って、中国文化の倭国への伝播は、支那人や朝鮮人の移動や移住を必ずしも必要としない。


【第3の間違い】・・・天孫降臨という古代の人々のイマジネーションを、単純に地理的関係へこじつけて歪曲した点。

「高天原とは空の上ではなく、天皇は倭国の以外の遠いところ。恐らく、朝鮮半島か大陸の何処から来たのに違いない」と考える歴史学者は案外多い。しかし、これはあまりにも視野の狭い見方だと言わざるをえない。

天孫降臨は日本だけのオリジナルではない。世界中いたるところにある。(これら天孫降臨に類した神話はアジアにも広く分布している。その一つモンゴルの神話では至高神サガンの孫ゲゼル・ボグドゥが、六種類の神器を授かって地上に天下り、国を建てたとある)

天孫降臨を単純に地理的関係に求めるのは、古代の人々の見上げれば雄大に広がる未知の世界(天空)に対するイマジネーションを、まったく無視したこじ付けとも言える。

日本の古事記のみならず、メソポタミアなどの西アジアやギリシャ・エジプトの神話やインドの「リグ・ヴェーダ」では、まず混沌の状態の宇宙があり、そこから神が天と地を作り国が誕生し、その後人間などの生命を誕生させたとしている。

方角や距離、文化の高低からは混沌を決してイメージできない。

天空から混沌をイメージするものは雲だ。雲は常に形を変えてカオスの状態であり、豪雨や暴風を生じ、稲妻を発生させ太陽を覆い隠す。また雷や暴風や大雨や日食は人知を超えた天の力(神)を感じさせるものである。

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天気と農耕は密接不可分である。その農耕の発祥の地はメソポタミアである。恐らく天孫降臨神話はその起源が西アジアにあり、それが灌漑などの農耕技術や土地の面積を求める数学の普及とあいまって、他民族の神話と融合し世界各地に広がって行ったと見るのが妥当だろう。

(人の脳は、在る部位に電極などの刺激を受けると体から心が遊離する感覚が生じ、同様に神のような大きな存在をも身近に感じることが実験的に実証されている。つまりこれらの感覚は潜在的に人間に備わっているのだ。これら脳に生じる超体験的感覚と天空のイメージが合わされば、天孫降臨伝説は容易に想像できる)

この古代人のイマジネーションには、驚くことにもう現代の生命の起源論(宇宙物理学や物質の進化[自己組織化]から生命の起源をさぐる研究)が萌芽している。

地理的な関係を強いて言うのであれば、古事記や日本書紀では皇室は南方の海から来た人々だとしている。

つまり海洋民族である倭人にとって、古代(縄文時代)の九州は、何もなく不毛な朝鮮半島より、スンダランド(東南アジア)との交流が深く、その表玄関だったという方が正しい


ここまで書けばもうお分かりだろうが。これら世界各地の伝説は朝鮮半島と地理的にもまったく無関係だ。日本の神話だけを地理的関係(朝鮮半島)と結び付けようとする学者は、根拠もなく自虐史観から単にそうあって欲しいと望んでいるだけである。(赤い眼鏡をかけた学者には、何を見ても赤い色が加色されている)

ちなみに・・・ 古事記に出てくるヤマトタケルの東征などは、単に、朝鮮半島より農耕の先進地であった北部九州の弥生人(縄文人)の一派が勢力を増し、東に住む同じ倭人を傘下に収めていっただけの話。縄文時代から倭人の影響下にあった朝鮮半島とはまったく無関係。


参考文献

「弥生時代渡来人と土器・青銅器」片山宏二・著 

「日本人のルーツの謎を解く」展転社・長浜浩明著

その他
posted by かたばみ at 12:15| Comment(6) | TrackBack(0) | 偉大なる先人達 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
拳骨拓史氏がその著書の中で書かれていますね。
「この碑(好太王碑)は高句麗第19代王、好太王(広開土王)を讃えたものだが、
日本が朝鮮半島に渡って百済・新羅を平定したことが記されている。朝鮮半島の史料に、日本が強大であった証拠が残されているのだ。」

また
「当時の朝鮮は日本より格下だった」
「日本の方が国力が上であった事を示す史料は、実はたくさんある」と言い史料を示されています。
Posted by at 2013年11月19日 05:46
中国が三国志の時代だった時に、日本は卑弥呼とかの土人っぽい時代だったんだから、中国と陸続きで交流があった(属国?)朝鮮が日本より進んでた可能性は高いんじゃねぇの?
Posted by   at 2014年02月26日 11:44
>2014年02月26日 11:44

当時の日本はもう鉄器を作っていましたが、朝鮮はどうだったでしょうか?
当時の朝鮮の遺構から同時代の日本より先進的であったことを表す遺物が発見されているでしょうか?

疑問を持たれたのなら調べてみるべきです。
なにもこのブログを鵜呑みにするのが正解というわけではありません。
なにごとも調べ考え自分なりに結論を導き出すことが重要です。

個人的な意見ですが、当時の日本について調べると、日本の先進性に驚くはずですよ。
Posted by GT at 2014年05月14日 00:16
今日読んだので、遅レスで大変恐縮ですが、ご意見に確認したいことが多く発生しています。

文字が発達していなければ、稲作を日本全土に伝えることは非常に困難です。
文字も稲作も鉄も封建制度も、交易者が大陸から学んできたけど、人だけは大陸からは流れてきていないというのは、非常に都合が良いです。
当時の大陸はヒンズー教をベースとした封建的な考え方で統治を進めており、反発する人を中心にして人が活発に移動しています。しかも、当時の日本は属国として扱われ、大陸に対して貢いでいます。
日本だけは移動先としなかった理由はなんでしょうか。
大和朝廷が東征してきた地域には、特に苦戦した地域ほど酷い部落差別があり、原住民に対して行なったことの酷さを感じます。
皆が嫌がることを出自だけで生業とさせるようなことが、先進的な文化を持つ民族のすることなのでしょうか。
緩やかに文化が進化してきたのであれば、何故突然古墳を作り、権力を誇示する必要があったのでしょうか。
当時の日本で大陸と同じことは出来ず、アレンジされたものなのではないでしょうか。
Posted by at 2015年08月16日 07:31
追伸

私も、朝鮮系の人が大和朝廷を作ったとは思えません。あなたが言う、東南アジア系の人でもなく、中国から来た人たちと原日本人が融合していった人たちが、長髄彦を始めとした豪族を打ち破っていったと考えるのが自然だと考えています。
Posted by at 2015年08月16日 07:44
大体にして、北の方角から文化が伝承すること自体がナンセンスだ。

あったかい地域、赤道辺りから文化が広がるのが筋だわな。
Posted by at 2015年11月14日 04:22
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