2007年10月17日

近世日欧比較

日本の農民による「一揆」と呼ばれるものが、実は血なまぐさい暴動ではなく、大半はただの交渉に過ぎないと書いた。それでは、その一揆がどれだけあったのか検証してみたい。

共産主義の思想が根幹となっている自虐史観に基づいた歴史家たちは、「毎年農民による暴動があった。鎖国時代には全部で1500回ぐあらいの農民一揆があった」と述べている。

仮に彼らの言うように、江戸時代約260年間のあいだに、総計1500回の一揆があったとしても、年間約6件と言うことになる。当時の日本の村が約6万3千村だから、村当たり、たった6/63000の発生件数でしかない。しかもその中身は前述のように大半が、平和的な協議なのである。

さらに松原久子氏の著書によれば、『当時の日本には、およそ六万三千の村があった。ということは毎年年貢米による納税額の決定が六万三千件あることになる。二百年以上という年月のなかで総計千五百回の争い。もしくは暴動があったとすれば、争いの起こった比率は一万件に一回ということである』と述べられている。


現在の中国では、年間約8万件の暴動が発生している。日本と中国の人口比を考えて、単純に1/10だとしても年間8000件の暴動が起こっていることになる。 

年間約8000件も暴動が発生する現代の中国、かたや年6回の鎖国日本。為政者に対する不満の大きさは一目瞭然だ。

さも「江戸時代は一揆の風が吹き荒れていた」というような支配階級にたいする血なまぐさい闘争があったとする歴史教科書には、一体どんなフィルターが掛けられているのか。

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(ウラジーミル・レーニン)

いまだにマルクス・レーニンの亡霊に操られる左派知識人や日教組によって歪められた日本人の歴史観がいかに、いびつな物であるか、先人の英知によって築かれてきた日本の歴史が世界にも類を見ない優れたものであったのか、我々は教科書ではなく、多くの書物から、少なくても近代史ぐらいは、すれっからしの近隣諸国の情報操作(プロパガンダ)を見抜くぐらいの知識をえるべきではないか。


さて本題。『入浴は日本の農民にとっては、フランス人貴族の晩餐の際の1杯のワインのように、一般的であった」 それは、病気を予防する意味も込められていた。

かたやヨーロッパではどうだったのか。コラム「欧米人進化論」のなかで帝京大学・高山正之氏はこう書いている。

彼らはもともと体を洗うと精気がうせると信じていたうえ、キリスト教の教義も一歩進めて入浴は健康を損なうと考えていた。だから王侯貴族から庶民にいたるまで、ふやけた垢がたまり過ぎたころ、しょうがなしに湯浴みする程度だった。英国の建築家、ローレンス・ライトの「風呂トイレ賛歌」によるとジョン王は3週間に一回、エリザベス女王も月に一度しか入浴しなかったという。

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(ルイ15世)

ルイ15世は宮殿にあった大理石風呂を、使わないのももったいないからとポンパドール婦人にプレゼントしたが、彼女も風呂嫌いで、結局庭の噴水に化け、それが今に残されている。

20世紀に入っても、欧米人は風呂に入る習慣が獲得できないでいた。英国のウインザー公はパリ郊外ブローニュの森の館でシンプソン婦人と暮らすが、「風呂には一度も入らなかった」と産経新聞「20世紀特派員」で野津修敏記者が報告している』

さらに、風呂に入らない人種と「1日二度も風呂に入る日本人(J・ロドリゲス)」との間に、笑い話のような誤解も生じた。

規則に違反したオランダ人捕虜に対して、「日本軍は懲罰のため数日間の入浴を禁止した。彼らはそれが耐え難い懲らしめになると信じていたようだ」(西欧の植民地喪失と日本人 R・カウスブルグ)

トム・クルーズ主演の「ラストサムライ」では、セリフのなかに「野蛮人との生活では、風呂にも入れないから・・・」と言った意味の言葉が語られている。 


自分たちが常に文明の先端を走っていたという、傲慢な思い違いから来た事実誤認なんだろうが、 実際には、ほんの数世紀までヨーロッパよりアジア諸国の方が文明が進んでいた。いまだにアメリカといえどもこの程度の認識なのである。



風呂に入らないのは中国・朝鮮も似たようなもの。日本人は庶民さえも、いにしえより文化的生活を送ってきたのである。
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2007年10月16日

ローキックに対して

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ひ骨神経をねらったローキックに対しては、スキップのように足を跳ね上げ、同時に腕ではさみ込むようにして、相手の足をキャッチします。


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(上の写真より、自分のヒザを曲げます。ローキックを自分のフクラハギから大腿部にかけて滑べらせ、直接打撃を受けずにキャッチするのです)


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ローキックをキャッチしたら、素早く金的に「霞」を打ちます。(相手は激痛で運動神経を奪われます)

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続いて、右手で足を引き、体をねじり、左上腕と左脇腹で大腿部を押して、暴漢を投げます。(これは以前にも出てきた投げ方ですよね。コツがつかめるまで何度も練習してください。決して難しくはありません)


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相手が倒れても、足は離さないで下さい。


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股間に再度、土踏まずで蹴りを入れたら、急いで逃げましょう。


「用語解説」

ひ骨神経・・・大腿骨の側面に沿って走っている神経の束。ヒザから約10センチほどのところに、強い打撃を受けると足が動かなくなり、歩行不可能となる。
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2007年10月15日

日本の農民とヨーロッパの農民比較 3

日本では、ヨーロッパと違って、農民は自分たちの村の総合的な案件について、原則として自主管理をするのがルールになっていた。どの村にも戸籍係があった。それは、ヨーロッパの農村の戸籍係が教会の監督下にあったのとは違って、村人や寺によって運営されていた。』

稲作には綿密な灌漑システムが必要である。そのため『農民は堤防や、測量技術、治水工事の技術などにも精通していなければならなかった』

『こう言った多方面にわたる課題が農民にはあったので、日本の農民の多くは、読み書きソロバンができた。ヨーロッパの農民が読み書きができるようになる、はるか以前のことである』

日本では旅も盛んで、総人口の1/3の人々が、「お伊勢まいり」など、どこかに旅行していた年もあるという記録がある。しかもただの旅行だけではない、同時に他の土地での品種改良などの農業技術を学ぶ旅でもあり、農民の学習意欲や知的好奇心はヨーロッパの農民とは比較にならないぐらいの差があった。

そうした、『事実上、何の制約もなく全国を移動できる自由は、日本全国を均一な国にすることに大いに貢献した。農業の発展につながる情報は、旅をした農民たちによって、短期間のうちに各地に広がり、試験的に実践された。

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どの農具がどういう土質に適しているとか、害虫駆除の一番よい方法とか、肥料の撒き方とか、綿や茶、桑の木はどういう土地が適しているとか、あるいは当時二百四十種以上の米にはそれぞれどういう特徴があるかなど、「農業全書」や「養蚕秘録」のように詳しく記された古い書物が残っていて、今でも読むことができる』

当時のヨーロッパで、日本のように二百四十種以上の品種改良をされた穀物はない。それだけ日本の農民の知的水準が高く、また自由な学問や研究を許した為政者があったからに他ならない。

当時、日本の穀物の単位面積当たりの収穫量や農耕技術は間違いなく、世界のトップレベルであった。こうした記述が教科書に載ることはない。それが何故なのか、子供の未来を真剣に考えるのであれば、疑問を抱く必要があるのではないのか。
 


引用文献・・・「驕れる白人と戦うための日本近代史」松原久子著


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2007年10月14日

日本の農民とヨーロッパの農民比較 2

現在のマルクス・レーニン史観にもとづく教科書では、人類は階級闘争を通して、最終的に共産主義社会に到達するという独自の歴史観から、近世において農民は、武士階級から過酷な納税を課せられ、奴隷的な存在でなければならないとの前提にもとづいた、色メガネ的記述がなされている。

しかし歴史はそう言った「型にはまった進歩」をするわけではない。その国々で国家の成り立ちや在り方、あるいは制度には、それぞれに固有の発展の仕方があるからだ。

引き続き、松原久子氏の著書から文章を引用して、「自虐史観的教科書の描く薄っぺらな農民像」と「史料を丹念に掘り下げた研究結果による農民像」との違いを見てみたい。



『日本全国が被害を被った大災害の年を除けば、農民たちは、大体うまくいっていたといえる。年貢を基にした租税制度と全国における米の配分も至極円滑に機能していた。

それなのに「毎年農民による暴動があった。鎖国時代には全部で千五百回ぐらいの農民一揆があった」などという歴史家は多い。ところが、この「農民一揆」と数えられている事件を詳細に調べて見ると、驚くべき結果が出てくる。

ある村の代表と大名の代理人が年貢米の納入量について話しあったが、、合意に達することができなかった。そこで近郷のいくつかの村の代表たちが一緒に大名屋敷へ参上し、年貢の軽減を願い出るために協力しあった、というだけでそれは「農民一揆」に数えられているのである。そのような陳情が暴力沙汰になったのは極々稀なケースであったというのは全く斟酌されていない。

事実、「農民一揆」といわれている出来事の大半は、天候不順のために収穫量が落ち込んだので、農民たちが配慮を願い出るといったような正当な申し出をしたとか、町へ静かに出かけていって、自分たちの事情を説明してから、また静かに立ち去っただけに過ぎないことが証明されている。

日本では同時代のヨーロッパ諸国に比べて、公平と自治が高度に機能していた。農民たちは現存の統治システムに対して反抗しなけらばならないと言う感情に駆られることが少なかったのである。


他方、ヨーロッパはどうだったかと言うと。 『彼らは日本とは、比較にならないほど、お上の横暴のなすがままになっていた。納税額は一方的にお上から要求され、協議に加えてもらえるなどと想像すらできなかった。だからこそマルチン・ルターがキリスト者の自由を告知した時、彼らの多くはルターに希望を託したのである。農民たちはこの改革者を、夫役と奴隷的状態のくび木からの解放者と見たのだ』

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(マルチン・ルター)

同じ宗教改革者トーマス・ミュンツァーが書いているように「休まずどんどんやれ、続けろ、火が燃えているではないか。刀を血で濡らせ。そこにいるあいつらがお前達を支配しているかぎり、だれもお前たちに神について語ることはできない。なぜならそこにいる奴等がお前たちを支配しているからだ・・・」と言った、ルター時代の農民たちの血なまぐさい暴動は、残酷なやり方で無慈悲に打倒された。

しかし、『農民達が蜂起したことに対して、もし支配者がヨーロッパのようにただ復讐に燃えて大量処刑を行ったとしたら、そのような行為は日本では無慈悲の極致であるとし避難されるばかりでなく、政治的な愚行とみなされたであろう』と言う。

名前を失念したが、欧米の歴史学者の一人は、もし過去の時代に行けるとしたら、何になりたいかと問われ、「貴族ならイギリス、農民なら江戸時代の日本」と答えている。

それほど、日本の支配階級は徳政をもって日本を統治し、また農民は世界でもまれなぐらい自立した存在だったのだ。 民衆は幾ばくかの制約はあるものの、基本的には自由を謳歌していたというのが近世の日本の姿なのである。






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2007年10月13日

日本の農民とヨーロッパの農民比較 1

「素朴な農民」と言う言葉から、ヨーロッパの人々が連想するのは、「農奴」であるという。

「驕れる白人と戦うための日本近代史」著書・松原久子氏から文章を引用し、日本の農民と欧州の農民との違いを浮き彫りにしてみたい。

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それは、貴族の主人や大地主から搾取され、殴打され、もっと収穫を上げろといつも鞭で叩かれる農奴である。貧しく、反抗的で常に暴動を企んでいる。顔には深いシワが刻まれた人たちを彼らは思い浮かべる。藁の上に寝て、涙を流しながらパンを食べ、やっと1年に一度新しいズボンを、5年に一度一足の靴を手に入れることのできる人たちを。生涯一度も風呂に入らず、自立することなどを考えたこともなかったから、読むことも書くこともできない人たちのことを頭に思い描くのである。

これは、産業革命以前のヨーロッパの農民に関する史料を調べたときに、必ずであう農民の姿、生活である。ヨーロッパにおける農民の決定的な特徴は、人々の食料の生産をひとえに担っていたにもかかわらず、領主の横暴の最大の犠牲者だったということである』


これは、なにもヨーロッパの農民だけではなく、世界の中心を自負する中国・その文化をとことん模倣した朝鮮においても同じことである。

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しかし日本の農民は、庄屋や地主の横暴の犠牲になる心配はほとんどなかった。それどころか、彼らは自立していたのである。これはヨーロッパの農民には生涯体験できなかったことである。

大切な食料の生産者である農民には、日本では確固たる地位があたえられていた。当時の日本の社会は、士農工商という四つの階級に分かれていたが、農民は武士に次いで第二番目の地位にあったのである。

日本のいたるところに自立した村落共同体が作られた。どの村にも会議である「寄り合い」があった。寄り合いでは、メンバーの中から代表者一人と、二人の委員が選ばれた。彼らの役目は対外的に村を代表することだった。

特に年貢、つまり納税の問題について、村の人々の意見を代弁するのが彼らの任務であった。税の額は、米で計算され、脱穀し俵に詰めた米が納められた。これは村ごとに毎年異なり、作柄に応じ、収穫を基準にして定めたので、同じ領内の隣り合わせた村でもことなり、年々豊作凶作により加減された』

日本では、最大限の公正を期した税体系の整備が試みられた。土地の地味、日光の当たり具合、灌漑の効率などを考慮して全ての水田が測量された。米による納税の査定基準の公正と公平が保たれるように知恵がしぼられた。

ここで特に強調したい重要なことがある。それは日本では、税の額は決して農民の頭越しにお上によって一方的に決定されたのではない、ということである。納税額を決める際に、農民は村の代表者と通して協議・決定に参加する権利を持っていたのである


これまで日本史の自虐史観的教科書で教わってきた「搾取され、虐げられる日本の農民」というイメージがいかに、マルクス・レーニン史観にもとづく、表面的で内容の乏しいものか理解できるというものだろう。

階級闘争的歴史観は過酷な状況で生きたヨーロッパだからこそ、生まれたものだとも言える。

我々日本の先人たちは、『文明の衝突』の著者・アメリカ合衆国の政治学者サミュエル・ハンチントンの論に拠るまでもなく、中華文明とはかけ離れた、独自の高度で民主的な文明を築いてきたのである。
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2007年10月12日

フックに対して 其の2

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暴漢が、腎臓や肝臓を狙って、フックを打ってきたら。


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ヒジをぶつけるようにして受け止めます。


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あとは何度も練習していますよね。ヒジを眼窩などの急所に打ち込んでください。 (ヒジ打ちは、相手の反撃を食らわないように、素早く踏み込んで体当たりする感じで行います)


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そしてヒザやスネによる蹴りをいれます。 (コンビネーションで蹴りがヒジより後になるのは、「腕」より「足」での反撃が遅いため、先に相手のパンチをもらいやすくなるからです)


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ヒザ蹴りから、種々の関節技に移行することもできます。


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一般の女性が、肋骨の下の肝臓(自分の右脇腹)や腎臓(左脇腹)にパンチをもらうと大変危険です。鉛を飲み込んだような重く鈍い激痛をともなう痛みで、立ち上がればくなり、下手をすれば内蔵破裂となります。

ヒジによる防御を是非覚えてください。
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2007年10月11日

アッパー・カットに対して

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暴漢が、腹やアゴにアッパーを打ってきた場合には。


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腹筋のない女性は、腹部を打たれたら内臓が傷つく恐れがあります。

それを防ぐにはまず、体さばき(体をねじり、腰を引く)とヒジ受けでアッパーをカットします。 ヒジ受けは、必ず手先よりヒジから先に動かしてください。

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あとは、間髪を置かず上から顔・鎖骨などにヒジ打ちをいれ、素早く反撃します。


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さらにひざ蹴りへとコンビネーションをつなげます。

これら一連の動きは、簡潔で人間工学的に無理のない動作ですから、何度か反復練習すれば、自然にできるようになりますよ。


用語解説

アッパーカット・・・ヒジを曲げ下から突き上げるようにして、アゴまたは腹部を狙って打つパンチ。

ヒジ受け・・・腕の硬いところ(ヒジから約5センチぐらいまでの部分)を使い、蹴りやパンチを受け止めること。
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2007年10月10日

フックに対して 其の1

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相手がフックを打ってきた場合の対処は、ヒジを相手の腕に叩きつけるようにして止めます。

注意・・・手によるすべての受けは、「手先」から動かすのではなく、「ヒジ」から動かすようにしてください。

手先から動かすと、コンマ何秒かの差で受けが遅くなります。わずかの差ですが、至近距離からナイフで刺されようとした場合などに、大きな差となってきます。


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フックを受けたそのヒジで、そのまま相手の鎖骨などに上からヒジ打ちを入れます。

慣れれば、受けから一秒もかからず、ほぼカウンターどうように反撃できます。


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すかさず、ひざ蹴りを股間に入れます。

必要ならば、さらにヒジ打ちなどコンビネーション(連続攻撃)で反撃を続けてください。

打撃に対する反撃には、どうしても反射神経が必要になります。こればかりは、反復練習で身に付けるしか方法はありません。


用語解説

フック・・・腕をカギ状に曲げて、コメカミ・アゴ・脇腹(肝臓・腎臓)などを打つパンチ。
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2007年10月09日

護身グッズ代用 カギ

キー類

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ガギは、ほとんどの人が携帯していますよね。これらのカギ類も隠し武器として使うことができます。

その場合、出来るだけ車のカギなど、大きいものを使用してください。

ガギの握りは、上の画像のようにして、先端が指の間から出るようにします。



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暴漢が抱きついてきたら、脇腹・鳩尾・鎖骨の上の窪み・首・肩回りの骨・肩甲骨・頭部・ほほ・喉・目・掌・大腿部・膝裏・大腿部その他に、これを打ち込んで難を逃れます。

もちろん、これでパンチを入れることも出来ますよね。
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2007年10月08日

後ろから髪を掴まれた場合 其の2

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後ろから、髪を掴まれて引き倒された場合。


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両手で相手の腕をつかみ、ぶら下がります。


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ぶら下がったまま、それで体の安定を取り (仰向けに寝転べるようならその状態で) 素早く金的に切りつけるようにして「霞」を打ち込みます。


(相手の腕に体重を乗せてぶら下がるのは、そうすることで自分のバランスを取り、同時に相手の自由を奪うことが出来るからです)


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この時の「霞」の手の形は、上の画像のようにして下さい。

四本の指は、なるべく階段状になるように握ります(手の平は開らきます)。これは股間を切りつけた時に、指先が滑るようにするためです。


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繰り返しになりますが、「霞」はこのように相手との位置関係によって、打撃に使う場所が様々に変わります。(これは変水流独自の技法の一つです)


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切り付ける動作は、野球のボールを投げるように、振りかぶって行います。そうする事で、「霞」を強く打ち込めるのです。


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「霞」を打つときには、小指側から曲げた四本の指関節で金的を切るように行ってください。


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後は、このように相手の片足を抱え、下からパンチや掌低を金的に打ち込んで倒します。

(この画像の掌低の打ち方は、手首が逆になっています。後日画像を差し替えておきます)

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相手が倒れたら、素早く起き上がって逃げてください。

posted by かたばみ at 10:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 護身術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする